音楽と記憶

 

この記事は某アドベントカレンダー企画に寄せて書いたものです。

 

 

嗅覚の記憶は脳の中に長く残る。だから、ある匂いを嗅いだときに記憶の中の出来事が蘇ることがある。

 

この話、創作作品の中でもときどき語られているように思うので、聞いたことがある人も多いんじゃないでしょうか。

 

NANAのヤスもこう言っています。 (NANA 15巻 矢沢あい/集英社)

 

でも個人的には匂いよりも、音楽が強く結びついている記憶のほうがたくさんあります。ある曲を聴いたときに、当時の出来事とか感情とかがバーッと蘇ってくるみたいな。

たぶん昔から音楽が好きで、意識が向いているからなのかなと思っています。単に自分の鼻が効かないからという可能性はある。

 

今日12/18のテーマは#音楽ということで、音楽と強く結びついた記憶に注目しながら自分の音楽遍歴を振り返ってみたいと思います。音楽好きな人はあるあるに共感してもらえたら、別に好きじゃない人はオタクが醸成される過程を楽しんでもらえたら嬉しいです。

 

 

拗らせの始まりがいつだったのかは分からない。

人生で一番最初に買ったCD、覚えてますか。

そもそも自分より下の年代ではCDを買う機会が減っているのではという感じはありますが。

 

わたしが初めて自分のために買ってもらったCDは「めざせポケモンマスター」だった。幼児だったわたしはB面として収録されている「ポケモン言えるかな?」を覚えたくてそれが欲しかったので、表題曲を見て「これじゃない」と親にめちゃくちゃ抵抗した。これでした。

ほとんど同時期に買ったのがSPEEDのベストアルバム「Dear Friends」。2枚組だったので、どちらか選ばないといけないのか…と思っていたら2枚とも買ってもらえた。よかったね。

 

あとは自分のCDは持っていなかったけど、親が聴いていたので幼い頃からスピッツを聴いていた。今ではひとつに決められないくらいたくさん好きな曲があるけど、その頃の記憶が一番残っているのは「空も飛べるはず」。

 

youtu.be

 

車の中なんかでも聴いていたと思うけど、ひとつのシーンとして思い出すのが家で録画したテレビ番組を見ていたときのこと。再生しようとしたら知らないドラマが始まって、空も飛べるはずが流れていた。冒頭だけでドラマの録画は終わっていて、そのときはよく分からなかったけど、あとになって「白線流し」というドラマだと知った。その当時わたしが録画してたのなんてポケモンわくわくさんくらいだったので、時系列的にもたぶん再放送かなにかが間違って録られていたんじゃないかと思う。

同じものを繰り返し見るタイプの子どもだったので、その冒頭も反復して見ていた。そのせいか、空も飛べるはずを聴くと必ずその映像を思い出す。

 

小学生の頃はモーニング娘。の全盛期だった。すでに逆張りオタクの片鱗を見せていたわたしは素直に好きと言えなくて、別にファンじゃありませんみたいな顔をしていた。本当は石川梨華ちゃんがすきだった。いま重めのハロヲタなのはこのときの反動なのかもしれません。

何が原動力だったのか全く分からないけど、「みんなが好きと言っているもの」以外を好きになりたいという拗れた気持ちがやたら強かったようだ。小中学生当時めちゃくちゃ流行っていたORANGE RANGEのことも少し斜に構えて見ていた。嫌なやつだな。

 

小学校高学年のときにCD・MDコンポを買ってもらって (KENWOODの黄色いやつ)、その後携帯型のMDプレイヤーを手に入れたので (SONYのオレンジのやつ)、中学生の頃はMDに入れた曲をずっっと聴きながら勉強していた。CDの枚数も大して持っていなかったので同じアルバムを延々とリピートしていて、当時聴いていた曲は今聴いても自動的に次の曲のイントロが頭に浮かぶし、当時解いていた問題集のページが鮮明に思い出される。シナプスとはおもしろいものですね。

 

 

その頃に、初めて音楽と記憶の結びつきが強く意識にのぼる出来事があった。

当時、ちょっとしたことをきっかけに友人との仲が気まずくなってしまった。今思えば子ども同士の些細なすれ違いなのだが、中学生のわたしには一大事だった。自分は友だちと喧嘩したりぶつかったりしたことがほとんどなかったのもあって、ものすごく落ち込んだ。何をしていてもそのことを考えてしまって、ずっともやもやして気が晴れないみたいな。

そんなときにたまたまテレビで、当時放送されていたドラマの主題歌Mr.Childrenの「Sign」が流れているのを耳にした。

 

youtu.be

 

別に聴いた瞬間に感動して涙が出たとか、大きく感情が動いたとかいうわけではない。ミスチルは好きだったのでいいなあとは思ったけど。

 

でもそれから友人との関係が解決した後になっても、Signを聴くとそのときの感情が思い出されるようになった。苦々しい感じがあまりに忠実に蘇るので聴けなくなって、普通に聴けるようになったのは大学生になってからだった気がする。

こんなに鮮明に嫌な気持ちを思い出すものなんだなと驚いて、それだったら気が落ちているときに曲を聴くのはやめようと思った。好きな曲を聴けなくなるので。

 

こっちは嫌な記憶だったけど、中学時代に聴いて強烈に覚えている曲がもう1つあって、これは色褪せない記憶とでも言うべき曲。

 

youtu.be

 

くるりの「ロックンロール」。たしか長期休暇中、部活か塾かが終わって家に帰ったら兄がテレビを見ていた。スペースシャワーTVか何かの特集だったんだと思う。わたしはそのとき初めてくるりを聴いて、かっこよくて衝撃的に好きだと感じた。あの日実家のリビングで、ソファに座ってる兄の後ろからロックンロールのPVが流れる白っぽい画面を見たときのこと、今でもはっきり思い出せます。

これがたぶん自分のバンド好きの始まりで、このあと兄からお下がりのiPodをもらったことで色んなバンドの音源を漁ることができたので、兄にはとても感謝している。

 

 

高校時代に形成された自意識についてはわりと今でも後悔している。

自分のiPodを買い直してからも兄にもらった曲たちを聴くのは続けていた。いいなと思ったバンドがあったら新しくCDを買ったりTSUTAYAでレンタルしたり。

スピッツくるりは相変わらず好きだったけど洋楽も聴くようになって、JETとかThe Fratellisとかが気に入っていた。Radioheadを知ったのも高校時代だった。

 

次からの段落はかなりアレなので心して読んでください。

 

高校3年生の頃から、さっき書いたバンドより知名度は下がるけどNine Black Alpsというイギリスのバンドと、髭 (HiGE) という日本のバンドに異常なほどにハマっていた。曲が好きだったのは絶対に本当だけど、「知名度が低い」ことがハマりを加速させていたことは否めない。これは今振り返ってそう思うのではなく、当時から自覚していたことだ。

わたしはそこそこ真面目で成績がよく、地味な女子高生だった。そういう自分がややマイナーな音楽を聴いているという事実が「いい」んじゃないか、という意識があった。外側からキャラクターとして見たときに、おもしろいんじゃないかって。

これって中二病の一種でいいんでしょうか。もし皆さんの妹さんがこういうことをしていたら、あたたかく見守ってあげてください。

 

そういう意識のまま大学生になった。入学後のオリエンテーション的なイベントで隣席の人と自己紹介し合うというとき、その子も音楽が好きだと言ったのもあって「音楽を聴くのが好き、好きなバンドは髭」と話した。その子は髭を知っていて会話が続いたけど (初手でマイナーめのバンドを出す変な奴だとは思ったらしい)、相手が違ったらわたしはどうするつもりだったんだろう。TPOは大切だ。

のちに彼とは同じ軽音楽サークルに所属してめちゃくちゃたくさん一緒にバンドを組むことになったので、結果的にはよかったです。

 

youtu.be

 

捩じ切れて尖った。

大学の軽音楽サークルに入ってたくさん人に出会って、今まであまり聴いたことのなかった音楽もたくさん知った。だけど当時、わたしは自分が好きな音楽以外をなんとなく侮っていた。これは本当によくなかったなあと思っている。未熟だった。拗らせていた自意識がさらに悪いほうへ進んだ結果、不必要な攻撃性を持ってしまったというか。

趣味に合わない音楽は単に自分がターゲット層にいないというだけで、上下があるわけでもないし、それを好きな人に自分がとやかく言う必要も権利もない。当たり前なんだけどわたしはこれに気づくのにめちゃくちゃ時間がかかった。気づいたときやっとちょっと大人になった気がしました。

そういう趣味に合わないジャンルとは別に、「流行り」を好きだということへの無駄な抵抗感も長々と続いた。聴く音楽を狭めるだけなので不幸なだけだったな。

今は治ったのでKing Gnuかっこいいって普通に言えるようになりました。

 

その音を聴くときいつもお菓子の寒氷を想像している。

ところでバンドではキーボード  (シンセサイザー) を担当していた。ピアノは幼少期から習っていたけどポップスをカバーしたのは学生時代が初めてで、その経験のおかげで曲がよりよく聞こえるようになった。それまでは全体でいいなあと思っていたのが、このフレーズのこの楽器がいいな、ここの音がいいな、みたいな。音色の好みみたいなのも細かくなったし言語化できるようになった。Square (矩形波) の音色が好きです。空気を多めに含んだ、ちょっと密度が低そうな音。

 

学生時代に演奏した曲はそれぞれにまつわる記憶が多すぎて語っていたら5万文字くらいになってしまいそうなので、原点回帰してとても爽やかな曲と似つかわしくない苦い記憶を紹介して終わりにします。

 

youtu.be

 

大好きな友人と先輩が演奏していた。とっても似合っていて素敵で、お互いの特別感みたいなものを感じた。その人たちはわたしにとっても特別だったから羨ましくて、でも自分はその人たちにとって同じくらい特別な存在にはなれないなと漠然と思った。

無性に悲しくなって、群青は大好きな曲だったのにそれを思い出すから長いこと聴けなかった。大人になったと思っていたけど昔とあんまり変わっていなかった。

別の人間なんだからそれぞれに関係は違うよなって普通に思えるようになってからは大丈夫になった。文字通り青かったですね。

 

 

心が落ち着いたら感情も鈍化したんだろうかと思うとちょっと悲しい。

それからさらに何年も経って、いよいよさすがに大人になった。変な尖りが少しは取れて丸くなったと思っている。だけど、ひとつの曲に記憶がこびりつくようなことも減ったような気がする。穏やかでいいけど、寂しくもある。

 

かなり長くなってしまったけど、音楽にまつわる色んな記憶について書きました。

完全に余談ですがTSUTAYAレンタルCD部門が縮小しているのがかなり悲しいです。「CDを所有したい」と「サブスクで聴ければいい」の間の欲が存在するので。学生時代はレンタルするCD10枚を選ぶのに2時間くらい店内をさまよっていた。

最近はいい加減どこかのサブスクに腰を落ち着けたいと思っている。オススメがあったら教えてください。